もう暦の上では秋なんだけどな。
どこかで既に書いたかもしれないけど、この季節になると高校一年生だった頃、夏休みの地学の宿題のことを思い出す。大体「地学」って授業が謎なんだが、地質学というほどでも地理学というほどでもないものだったんだよな。
で、夏休みの宿題は「各自テーマを見つけてレポート提出」という投げやりなものだったんだが、私は友人と一緒に次のようなテーマにトライしようと思った。
「川の塩分」
今にして思えば阿呆としか言い様がないのだが、当時は真剣に「川のどこらへんまで海からの塩が入り込んでいるんだろう」と思っていたんだな。冷静に考えれば川の方から海に水は流れ込んでいるのに、塩分もへったくれも検出できるわけがないんだ。なのに我々は揃いも揃ってチャリで川の上流から下流まで一定の間隔をとってプラスチックの小瓶に川の水を採取していったのだった。
東京西部、川崎東部にお住まいの方は馴染みのある多摩川でこれを実行した。炎天下の中、肉離れを起こす寸前までチャリを漕いで水を採取していった。一日仕事だ。一日で終わらせようとするあたりもちゃっかりしているが。
帰宅後、アルミホイルで作った小皿に川の水を入れて火で炙り塩分だけを抽出する。抽出できたのは当然のことながら河口付近の2箇所ばかり。それでも「意外に塩って遡ってないんだなあ」などと感心してみたり。一緒にテーマに取り組んだ友人もクラスの中では優秀な方だったのに、何故気付かなかったんだ。親も何故止めてくれなかったんだ。
でも、そんな体験があるから「当たり前」と思われるようなことでも敢えて確認してみたりする無駄な性格になってしまったんだな。いいんだか悪いんだか。