とある演劇関係の仲間の男が本気か冗談かわからない口調で「恋がしたい」と言った。酒の席での話だ。
また別の日に、吹き替え関係の仲間の女がやや本気な口調で「彼氏が欲しい」と言った。
10年前の私なら、お節介オバサンの血が騒いで(男だけど)二人を強引に引き合わせてくっつけていたかもしれない。そうやってくっつけて、結婚までさせてしまったこともある。ただ、その夫婦が何年かして離婚をせずとも冷えきった状態でいるのを見ると、何か反省に似た気持ちが湧いてくる。二人の問題なのだから私が責任を負うことはないのだろうが、どうにかならないかと思ったりする。これも10年前なら、余計なお節介の域を遥かに越えて、強引に二人の関係をホットなものにさせていたかもしれない。しかし一度離婚を経験してしまうと、そんなに簡単にホットになるものでもないことを知ってしまうので、そういう行動を起こすこともできない。
大体、自分自身が「ぬくもり」を欲しがっているのに、相手を見つけようという気がしない。何故ならば、今知り合って「ぬくもり」を分かち合う関係になってしまうと、あとでお互い不幸になりそうな気がするからだ。「ぬくもり」から入った関係、あるいは「ぬくもり」を確認することで成立する関係は、その関係を持たなくなってしまった時点で別の不安や寂しさのようなものを感じてしまいかねないからだ。
ペアスケートで熱くなって燃え上がった二人は、スケートリンクのないところでは燃え上がれないので、年柄年中氷の張った池やスケートリンクを探さなければならない。
たとえがちょっと違うか。
舞台上で燃え上がった二人は常に舞台の上でないと燃え上がれない。
それはありがちか。ありきたりか。
地下鉄で燃え上がった二人は地上に出ると燃え上がれない。
そんな二人はいるのか。
新幹線で盛り上がった二人は私鉄ごときでは盛り上がれない。
それは単なる新幹線マニアな二人じゃないか。
燃えるゴミは燃えるが不燃物は燃えない。
当たり前じゃないか。
はい。ちょっと情緒不安定です。