私がその夫婦に出会ったのは、はくちょう座デネブ宙域のスペースポート“バハマ”の二十三番ラウンジだった。気性の荒いアルタイル人と、論理的なデネブ人が、人目も憚らずラウンジのど真ん中で、互いがそれぞれの母国語で口論をしていたときだった。言語に明るくない私でも、お互い一歩も譲ろうとしていないのはわかったくらいだ。私も含めて周囲の人間は見て見ぬふりをしているので、余計にそこだけが浮いた状態になっていた。共通語も出てこないくらいだから、かなり感情的になっていたに違いない。
そこに現れたのが冥王星の氷の下からやってきたような色白の男と、火星の荒野からやってきたような浅黒い女性の二人組だった。私からは距離が離れていたので、彼らが何をしたのかはわからない。ただわかったのは二人ともすっとぼけた表情で、不自然な動きを見せながら、喧嘩をしている二人組に話し掛けているということだけだった。 始めの内は怪訝な表情をしていたアルタイル人とデネブ人も、次第に表情がほころんできた。岩のようなアルタイル人も、もやしのようなデネブ人も、お互いの顔を見ず、突然現れた男女の動きに見入っていた。まるでスポーツ中継に釘付けになっている飲み屋の客のようだった。 突然、男女の動きが止まったかと思うと、一瞬の間があいて、そこら一帯がどっと湧いた。喧嘩をしていた二人を含め、周りのテーブルに座っている客が腹を抱えて笑い出したのだ。私のように距離を置いて見ていた何人かの人間が、何故笑っているのかを笑っている本人たちに聞くと、時間差で笑い出した。そんな調子で私の目の前まで笑いの波が押し寄せてきたのだった。 それから約十分ばかり、その現象が続いた。男女の周りで爆笑が起こり、時間差で同心円を描くように笑いの波が広がっていった。正直興味がないと言えば嘘になるが、あまりの光景に私はその笑いの原因を突き止めるタイミングを失っていた。 ひとしきり男女のパフォーマンスが終わったのか、二人が軽くお辞儀をすると、先ほどまで笑っていた観客の間から拍手が起こった。その様子は、ちょっとしたショーの後のようにも見えた。誰もが先ほどまでそこで激しい口論がなされていたことなど忘れてしまったかのようだった。 その男女は満足そうな笑みを浮かべながら拍手の渦をあとにして、私が座っているカウンターの隣の席に腰を下ろしたのだった。話し掛けたくないと思う方がどうかしている。 「一体、何をしたんですか」 挨拶もせずに、私は単刀直入に二人に尋ねた。よく見れば二人は地球人だった。 「お笑いを一席」 そう答えると、男と女はメニューも見ずに、カウンター越しにカクテルを注文した。 二人は夫婦でお笑い冒険家をやっていると私に教えてくれた。 「お笑い冒険家、ですか」 なんともふざけた職業だ。いや、職業と言って良いのかもわからない。 小太りで色白の旦那は、額の汗を拭きながら笑って答えた。 「宇宙を冒険しながら、あちこちでお笑いをやっているんですよ。お笑いはお好きですか」 「ええ、まあ」 と答えるのが私には精一杯だった。 「どの星の人間もね、お笑いは好きなんですよ。心が温まるというか。温泉ってご存知ですか。地球の方ですよね」 「ええ」 「私たちはね、心の温泉になりたい、って常々思っているんですよ。心の凝りをほぐしてあげたい。そういう使命なんです」 「心のマッサージ師なんです」 旦那の隣から奥さんが嬉しそうにそう言った。 「なるほど」 と答えるのが私には精一杯だった。それにしても、 「アルタイル人とデネブ人は文化も全く異なりますよね。ましてや地球人とも違う。どうやって笑わせるんですか」 言語だって異なるはずだ。共通言語がないとは言わないが。 「意表を突くんですよ。言葉なんてあまり重要ではないんです」 まるで私の思考を見透かしたように旦那は答えた。 「意表を突いて、バカなことをやる。バカ過ぎても駄目だし、賢すぎても駄目なんです」 旦那は自分たちの技を惜しげもなく解説してくれたようだが、私にはあまり理解できなかったので話題を変えることにした。 「何故また夫婦でお笑いを」 「夫婦でお笑いを始めたというよりは、お笑いが二人を夫婦にしたようなものなんです」 「お笑いが縁を取り持ったということですか」 「上手いこと言うねえ、キミぃ」 鋭く突っ込んできたのは奥さんの方だった。 「実を言うと、家内に出会わなければ、こんなところでお笑いなんてやっていなかったんです」 「何をやっていたんですか」 「地球でお笑い」 「やっぱりお笑いかいな」 夫婦は自分たちで勝手に笑い出した。私も絶妙な掛け合いに思わず笑ってしまった。 「諦めていたんです。本当は一人ででも宇宙に飛び出て宇宙中を笑わそうと思っていたんです。でも、一人でできることには限界がありますよね」 「二人でも限界はあるわな」 また夫婦は勝手に笑い出した。私も何が可笑しいのかわからなくなってきていたが、つられて笑ってしまった。 「そんなときに、ある人を介して家内と知り合ったんです。彼女もまた諦めていたんです」 「何を」 「女の生きる道」 突然歌い出す奥さん。それを素早く制止する旦那。そしてまた笑い出す二人。これが噂に聞く「夫婦漫才」というものなのか。 「なんだ、あなたも諦めていたのか。実は私も諦めていたんだよ、って言いまして。実はお互いがお互いのような存在を求めていたということを瞬時に察しましてね」 「瞬時に察した割に、行動が遅かったやないの」 「冒険の支度をしていたんだよ」 「あ、私支度しないで冒険にきちゃった。どないしよ」 「じゃあ、オレの下着を貸してやるから」 「下着と言わず全部貸せ」 夫婦はまた笑い出す。他愛のない会話だけど、妙に可笑しい。なるほど、初対面の人間相手にこんな掛け合いをするくらいだから、あの喧嘩も止められたのかもしれない。 「これからどちらへ冒険に行かれるんですか」 「宇宙」 あまりの単純さに吹き出してしまった。こんなにくだらない会話で笑ったのはいつ以来だろうか。 それからひとしきり会話をして夫婦とは別れた。私にとっては冗談のような夫婦だったが、同じ地球人であることが何故だか嬉しかった。 それから地球時間にして二十一公転周期が経った頃、ベガ第四惑星の繁華街にあるマルチヴィジョンに映る夫婦の姿を見かけた。無言で奇妙な動きを見せる夫婦に、立ち止まって指を指して笑っている人たち。それを見て、彼らの冒険の無事を知るのだった。そして彼らが実は冒険の旅に出ているのだということを私は知っているのだと、少しだけ誰かに自慢したくなった。
by bhaus
| 2004-04-27 08:41
| [掌編小説]
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